同窓会に思うこと

28期の私を含めた同級生もいよいよ人生大台の60歳だ。それにしても自分が60歳を迎える現実に実感が涌かないのだ。

自分が18の頃に接していた60前後の大人は、りっぱなお爺さん、お婆さんに見えたものだが、今の自分はまさしく、あの頃に映っていたあの爺さんと婆さんだ、年齢的には。

もちろん時代の変化や生活様式の変化によって年のとり方は大きく変わったのも事実だ。そう思うと還暦を迎える今年の同窓会はまた大きな意味をもつのだろう。

おなじ頃に生まれ、おなじ時間を過ごした28期の同級生たちが一堂に集い学生時代の話や卒業後の人生を語れるのはとても楽しみだ。

私は高校時代、好意を持ってた他校出身の女子に想いを伝えることなく卒業した事を今でも悔んだり、仲良くしていた親友とも卒業と同時に疎遠になったりと、後悔することが多々ある。はたして彼女、彼らは同窓会に来るのだろうか。まるで明日の遠足を控えた小学生の心境だ。

朝高を卒業して42年。約450人の卒業生がいるとすれば、また450通りの人生があるわけだ。それぞれの人生を歩んで来られたわけだが、もちろんいい事ばかりではないだろう。同級生においては人生山あり、谷あり、上り坂、下り坂、まさか、といろいろな時間を過ごして来たはずだ。

そんな人生の途中で同級生のみんなが集まりワイワイ、ガヤガヤやれるのはとても幸せな事だと思う。また、これから先の人生においても、きっとプラスになるはずだ。

最近の私の日課は、朝起きるとスマホの中の朝高28期ブログを覗く事だ。中々面白い。特に「回想集」を拝見するたびに、熱かったあの頃を思い出しては自然に笑みがこぼれる。と同時に自分が通ってたあの頃と今とをどうしても比べてしまうのだ。

子供3人を朝高に通わせた親として運動会をはじめとする色々な行事にも参加した。そして帰りの電車の中でいつも思うことがあった。わたしらの運動会にはあんなに沢山の親たちがいただろうか?記憶にある運動場のスタンドはガラガラだ。

今の親たち(自分も含めて)のようにあんなに豪勢なお弁当を広げて昼からお酒をガンガン飲んでただろうか?40数年前、私は運動会で親と一緒にお昼を食べた記憶がない。

そんなことを思うと、あの頃の親たちはみんな仕事で忙しかったり、子供の事はまるまる先生や学校に任せておけば問題ないだろうと思ってたのではないだろうか、いい意味で。

42年前に比べると子供たちも大きく変わった。何といっても洋装が真面目なのだ。私たちの頃に比べたら頼りない感じもするが、とにかく見た目はどこかの私立学校の学生のようだ。(ある意味私立学校のようなものだが。)これもいい事だろう。

42年前の服装は男子はハカマのようなボンタン、女子はスケバンまがいのロングスカートのチョゴリ。あとはご想像にお任せするとして。年月が過ぎれば保護者も学生も変わるのだ。

そんなことを思いながら11月の朝高28期同窓会を楽しみに過ごす今日この頃だ。42年前に時間が止まったままの同級生に再会できる事を願いながら。